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宮 の 柚 子
北関東の宇都宮市新里地区は、古くから曲がり葱として有名な新里葱の産地でした。
そして周辺の屋敷には古くから柚子の木が植えられ、初冬には、ゆず風呂や鍋料理に柚子の風味を楽しんでいました。
昭和39年、先代が畑に100本の苗を植栽したのを皮切りに、今では250本の柚子を栽培しています。また柑橘類である柚子は、本来暖地に向く果樹ですが、北関東の北方の柚子として、肉質が厚く香りが強いと言われ、昨今では多くの料理研究家が注目しています。
宇都宮市新里地区の柚子は、香りが強くきれいな果皮の品質の良さが特徴でもあり、柚釜や柚ジャム等に向いています。
果汁は、ビタミンの豊富な天然の酢として、多くの料理に使われています。
また、果汁の多い『種無し柚子』も人気があります。
北に日光連山を望み男体おろしの吹き下ろす北関東に、昭和39年 100本の柚子を植えたのが 故床井忠雄でした。
世はまさに開田ブーム、そんな中『ユズの大馬鹿十八年』と言われる18年間無収入の道を選ぶとはちょっと無謀と思えるでしょう。
また当時は、農産物として本格的柚子栽培をやっている人は、栃木県内には見当たらず、埼玉県や高知県の先駆者に指導を仰いだようです。
冬の寒風前に1本1本わら囲いをし、防風用の垣根を作り寒ささえ防げば育つと思いきや、防寒前青々としていた葉が、翌春には枯葉となり補植。次の年もまた補植の繰り返し。
しかし、すでに周辺には生産者が20名ほどになり「新里ゆず生産出荷組合」を結成し、『栽培および防除暦』を作成したり、共同出荷の日を夢見ていました。
昭和43年には6割が枯れてしまい、圃場はまるで全滅に見えたそうでが、再挑戦、昭和48年5月28日 1本の木に白い花が開花。 翌年には30本が開花、秋には黄色い柚子がやっと生り始めました。両親は黄金に見えたそうです。
昭和49年 10年目にして待望の初出荷。『選別講習会』開催し『日光柚子』銘柄として共同出荷が始まりました。
昭和52年2月4日 第19回全国家の光大会にて栃木県代表として体験記「ユズ栽培に取り組んで」を発表し、農林大臣賞を受賞しました。
その後連日のように各地からの視察団が訪れた為、昭和56年11月16日には第1回関東ブロック柚子生産者懇談会を宇都宮で開催しました。
そ の後 新品種「種無し柚子」を導入したり、『ゆず低温貯蔵庫』を造り出荷調整を可能にしました。
しかし、暖地柚子の大量出荷が始まるにつれ、新里ゆず生産出荷組合 (日光柚子)は東京市場への共同出荷を断念しました。
販路を民間業者への卸出荷に転換し、1次2次加工業者・温泉旅館・料亭・観光団体・直売などへの共 同出荷を続けてきましたが、高齢化、兼業化にて生産意欲が低下し、放置される柚子の木が目立ってきました。
平成22年11月、先代が育ててきた柚子を生かし、2世組合員15名が、「新里ゆず生産出荷組合」を改め『宇都宮ゆず組合』を結成、地域ブランドを目指す事にしました。
香り高い北方(北緯36度)の柚子の特徴を生かし、新たな活動をしてまいります。地区内の約1,000本 20tの柚子が世代を超え新たな時代へ旅立ちます。
宇都宮ゆず組合の柚子は市場出荷をしておりませんので、スーパーには並びません。地元直売所にて販売されます。
消費者の皆さんにいつでも手軽に味わって頂ける様、生産者の顔の見える『宮ゆず』の商品開発がされ始めました。